無料ブログ作成サービス JUGEM
←prev entry Top next entry→
伊藤勇気プロデューサー ロングインタビュー (3)

第3回 プロデューサーとして思うこと、がんばったこと

松井監督の第1作「ユキエ」は、やはりアメリカが舞台。ルイジアナで45年間連れ添った戦争花嫁とアメリカ人の夫が見せる、夫婦愛と老いの姿が描かれています。そこで、通訳も含め、全部の現場にかかわったのが勇気さんでした。それから10年余を経て、彼は「レオニー」に正式なプロデューサーとして参加。そうなるまでには彼なりの様々な葛藤が渦巻いていたようです。



「息子だからプロデューサー」とは思われたくない

―― 勇気さんは、プロデューサーとしてかかわるのは「レオニー」が初めて?

勇気 そうですね。僕は僕で映像の世界を母のお陰で子供の頃から見てきてはいましたが、プロデューサーのタイトルをもらえるまでに映画の世界で“苦節何10年”といったキャリアがあるわけでもなく、今回が初めて。
でも、そこには「あれ、息子だからプロデューサーなんだよ」って思われたくないっていうのが大きくあったし、そのためには自分にしかできないことでそれを証明していかなきゃいけないことも常に考えていましたね。
でも、それはまわりの人もわかっていたと思うし、そんなふうにつっ込んでくるいやらしい人たちは誰もいなかったです。

―― プロデューサーとしての勇気さんのスタンスは?

勇気 映画制作の中での作りあげ方……大まかにですけど、どういったスタッフがいて、どういう流れがあって、というのは、特にアメリカの場合、「ユキエ」の撮影時に中に入って見ていたので、かたちだけはわかっていたんですよ。

だけど、本当にプロデューサーってすべてのことをやるので、プロデューサーが一人だけだったら到底成り立たない。アメリカ側にもしっかりとアメリカの複数のプロデューサーがいて、その中でもさらにそれぞれ仕事の分担があって、みんながプロデューサーといったかたちでしたね。

日本でもそうで、あれだけのスタッフさんを集められる永井正夫さんという方がいて、初めて成り立つわけです。

ただ、その二国にまたがった制作をしっかりとバランスよくお互いを繋げていくうえで両方に関わっているのは、監督とエミリーと撮影監督の永田さんと僕だけだったんですよね。中村獅童さんもそうだけど、獅童さんのアメリカでの撮影期間は短かったから、ずーっとスルーしてるのは、4人だけだったんです。

自分にしかできないことが絶対にあるはず

その中で僕はこういった厳しい世界だからこそ、ビギナーがプロデューサー気取りで肩で風切って歩けるような世界じゃないとわかっていたからこそ、「息子だからプロデューサーなんだ」って見る人がいるかもしれないな...、って思っていたんですけど、その反面、自分にしかできないことが絶対にあるはずだといつも思ってましたし、1つ1つを誠意をもって接していけばそんなことはどうでもよいと思うようにもなりました。大事なのは映画を完成させることであり、みなさんに観ていただくことなので。

自分が映画界のことがわからないからとか経験がないからといって、ただの通訳という扱いだったら、制作の内部に対して何も言えないですよね。「お前はマツイが言ったことを訳せばいいだけだ」とか「俺の言ってることをマツイに伝えろ」だけで、僕には権限がないわけだから。今回に関してはそれだと僕を十分に生かせないと、監督も思ったんだと思います。

留学で学んだイギリス文化がエミリーとの接点に

僕はもともと普段は音楽の仕事をしているんです。海外のアーティストを招聘して、いかにその人たちの心をつかみ、その人たちが気持ちよく仕事をしてベストな表現ができるようにするか、それをコントロールして結果を出す……ということを、この10年やってきたわけです。

映画の俳優さんたちと、自分が普段かかわってるミュージシャンたちとは違うんだろうな...と思いながらも、特にエミリーがイギリス人だったからこそ、僕が持っていたイギリスで学んだ文化っていうものが、すごく彼女との間で親近感を持たせてくれたし、エミリーはエミリーで、僕がプロデューサー兼息子であるっていうことを、うまく使っていたと思うんですよ、いい意味でね。

それは逆に言えば、役に立てたということだと思うし、それがあったからこそ、他のプロデューサーにはない自分の良さを今回発揮できたという実感もありました。

現場ではいつもアンテナを張り巡らせて

―― 勇気さんの人柄の魅力というか、ご人徳あってこそだと思いますが。

勇気 いや、たまたま僕はラッキーだったんです。自分のやってきたことを、みんながちゃんと「あ、彼はプロデューサーでいいんじゃない」とか「これだけの仕事をやってるんだから」って認めていただけるものがあったから。

そういう意味では、その場その場で各プロデューサーさんたちがしっかりとまとめてきたものを、最終的なところで僕にしっかりと報告もしてくれたし、むこうも僕に伝えることで「伝えてありますよ」と、ちゃんと疎通の取れる相手がいることがすごくよかったみたいなんです。

僕も毎日、何が起きて事故になるかわかんないと思ってやってたし、いつもアンテナは張り巡らせてたから、それだけ自分としても真剣に取り組んできたつもりです。

ドミノみたいに一個くずれてダダダーッてなっちゃうと、それこそプロジェクトが大きなだけに恐いですから。

まわりのスタッフさんたちに心から感謝

でも、まわりのスタッフさんのおかげですごくみなさんに本当に助けていただきました。まわりのみなさんが大人で、そういうボロが出ないようにいつも救っていただきましたね。みなさんが作品に対してすごく誠実で、誠意を持ってやっていただいたおかげだと心からそう思います。

その人たちが、「あいつは監督の息子だから」というところじゃないところで、みんなが勝負してくれてたからで、それは本当に感謝していますしありがたく感じています。

―― 日米合作映画をプロデュースするということだけで大変だと思いますよ。

勇気 みなさん、特にマイレオニーの方たちは、「よくがんばったわね」って言ってくれるし、そう見ていただけるのはすごくありがたいけど、僕も当然も一人でやったことじゃないから。

でも、そういうふうにみなさんに思っていただけるように仕事が全うできたことは、すごく僕にとっては財産になりましたし、自信にもなりました。

冷静に言葉を選びつつも、時折、現場でのことを思い出すのか、しばらく考え込みながら丁寧に語ってくださった勇気さん。
次回はいよいよ、実際の撮影現場に話が移ります。

| shiori | 映画 『レオニー』 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
Comment
name:
email:
url:
comments:
Trackback
トラックバック機能は終了しました。