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イサム・ノグチ庭園美術館 開館10周年記念シンポジウム「イサム・ノグチが遺したもの、未来への贈り物」レポート(前編)


2010年公開予定の映画「レオニー」は、
彫刻家イサム・ノグチの母親レオニー・ギルモアの生涯を描く作品。
のちに世界的な芸術家となる息子、イサム・ノグチの成長の物語でもあります。


晩年、イサムが香川県牟礼(現・高松市牟礼町)に構えたアトリエが、
イサム・ノグチ庭園美術館として公開されてから、今年2009年で10周年。


これを記念しての公開シンポジウム「イサム・ノグチが遺したもの、未来への贈り物」が、
11月15日に東京・草月会館ホールで行われました。





草月流創始者の勅使河原蒼風とイサムは1951年に出会って以来、彫刻家と華道家としての交流を深め、1978年に草月会館を新築する際、蒼風は1階全体をノグチに依頼しました。こうしてでき上がったのが、1F入口の石庭『天国』。草月流で知られるいけばなをはじめ、ジャンルを超えた創造活動の発信基地になっています。



前日、事務局で7時間以上にわたるマイレオニー会議(マイレオニー事務局は草月会館のすぐご近所にあります)の参加者をはじめ、マイレオニースタッフ、映画「レオニー」のプロデューサー数名がこのシンポジウムに参加してきました。斎藤代表が「昨日から座り続けでエコノミー症候群になりそう」と言ってましたが、もう大丈夫でしょうか?



ステージ上につるされた、ひときわ大きな球体の和紙照明「あかり」の元に
イサムに縁のあるたくさんの方々が集まり、興味深い話をしてくださいました。



場内は撮影・録音禁止でしたので、メモから起こしたものですが、
簡単に内容をご紹介します。



第一部は「私から見たイサム・ノグチ」。生前のイサムと実際に制作を通して交流があった方々が、イサムとの思い出を話していきました。進行役は、マイレオニーの賛同人でもある、建築家の川村純一さん。



最初に登場したのは、写真家の篠山紀信さん。このイベントに合わせて刊行された、イサム・ノグチ庭園美術館の写真図録の撮影を手がけました。



「この写真集の中には、生前のイサムさんをアトリエで撮ったものと、庭園美術館となった現在撮影したものが混在しています。ふつう、主のいなくなった家というものは、がらんと冷たいものなのに、今の庭園美術館も、まるでイサムさんがそこにいるよう。イサムさんはひとことで言えば、とにかく“上手”。彼の作品は、自然光でちゃちゃっと撮るだけでキマる。彫刻をどこに置けばいいか、光の位置が最初からわかってるんですね。」



続いては、1950年からイサムに師事した彫刻家の広井力(つとむ)さん。慶応義塾大学・萬來舎の彫刻『無』制作時のハプニングから「グレープフルーツの剥き方にはうるさかった」といった、ごくプライベートな話まで、約40年交流を持ち続けた広井氏ならではの
イサムのパーソナルな部分が伝わってくる楽しいお話を次々と披露してくださいました。



(シンポジウムに続いて同会館内で行われた交流会では、来場者を代表して、11月17日のイサムの誕生日(生きていれば今年で105歳)を祝うケーキの前で「ハッピーバースデー」を歌われたそうです。参加されたマイレオニー副代表の谷岡さんからの情報でした。)



洋画家の堂本尚郎(どうもとひさお)さんは、イサムが1958年に完成させたパリのユネスコ本部のガーデン(日本庭園)を企画していた頃のリアルなエピソードをお話してくださいました。
「日本で会うと目が青く見え、NYやパリで会うと目が黒く見える、ぼくに言わせるとイサムさんはそういう人だった。日本とアメリカ、たとえるなら屏風のような二元性を持って
いる人。両眼を持っているからこそ苦しまれた部分もあったのではないか。」



「イサムは、彫刻から最初に“台座”をなくした人」と表現したのは、彫刻家の安田侃(かん)さん。イサムが現代彫刻家のヘンリー・ムーアに激しくライバル心を燃やしていたというエピソードを話されました。「でも、ヘンリーが体調を崩して入院したときに、イサムはわざわざ見舞いに行っているんですよ。イサムの、アグレッシブなところと、どこか弱々しい部分、そういうところが魅力的なのだと思います。イサムは、自分の未完成の作品のことも気に入っていました。“未完成の作品は、迷いがいっぱい詰まっているのがいい”と。」



建築家の磯崎新(あらた)さんは、サンフランシスコ地震で損壊したスタンフォード大学の修復するためのコンペに、イサムがアメリカの人間であるとの理由で実現がかなわなかった広島の原爆慰霊碑を学内に作ろうと提案をしたことを話してくださいました。残念ながら不採用に終わったそうですが、アメリカと日本、自分がどの国に所属するのか、絶えず屈折した気持ちを持ち作品を生み出し続けたイサムの思いの象徴としてのこのモニュメントを、いつかどこかで作れないかと思い続けていらっしゃるそうです。



映画「レオニー」原作の本『イサム・ノグチー宿命の越境者』の作者、ドウス昌代さんも登場。「『宿命の越境者』を書いて9年が経ちます。本を書こうと本格的に動き始めたのはノグチさんが亡くなる1年前で、私はこの中では唯一実際のノグチさんには会っていませんが、それは本を書く上でハンデではないと思いました。今から41年前、ニューヨークで初めてノグチさんの作品「レッド・キューブ」を見てから、素材としての彼を産み落とす、という私にとっての長いプロジェクトがスタートしたのだと思います。」また、『越境者(Journey without Bordes)』というタイトルは、サンフランシスコとスタンフォードを結ぶローリングヒルのハイウェイの中で思いついた、というお話もしてくださいました。




第二部以降のレポートは、後編で!


 


 

| wakki | 映画 『レオニー』 | comments(2) | trackbacks(0) | pookmark |
Comment
2009/11/18 12:38 AM posted by: tomoko
ドウス昌代さん、白内障で近年何度か手術をなさっているとか・・・。
「客席を見るとライトが辛いので、伏目がちに話しますが、これは私が決して控えめで奥ゆかしいからではありません」・・・とおっしゃった!
は〜・・・かっこいいです。。。
2009/11/17 5:13 PM posted by: shiori
密度が濃くて素晴らしい渾身のレポート、ありがとうございます。感動しました!
磯崎氏のスタンフォード大学内の原爆慰霊碑の話も、安田氏の“彫刻から台座をなくした人”という話も、広井氏のグレープフルーツのエピソード(何てポエティックなんでしょう!)も。
ドウスさんの登場も貴重でしたね。
後編も楽しみにしています!!
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