文学者としての野口米次郎は
10代で単身渡米し、働きながら学び、
英語で詩や文学を作り、やがてアメリカで認められます。
1910年代〜1920年代の英米の詩人は
米次郎の影響を受けたという研究も残っていますが、
日本では、そのパイオニア的な活躍はあまり知られていません。
その理由として、
当時の代表的な米国人の日本文学研究家を
米次郎が批判してしまったこと、
また、米次郎は太平洋戦争での日本の敗戦後、
戦争を礼賛していたとの評判が立ってしまい
評価が消えてしまったこと、などがあるそうです。
また、米次郎は日本の「能」の紹介をいち早く海外へ行った人でも
あったそうです。20世紀初頭の文学でブームとなった
インドの神秘主義や哲学など、キリスト教とは違う人間の精神性などに
注目が集まっていた流れに乗る形での日本文化の紹介は
当時注目を浴びたそうです。
堀さんが最初に出会った米次郎の作品は、
『American Diary of a Japanese Girl(日本少女のアメリカ日記)』。
日本の女の子の語り口で、英語で書かれています。
「この作品が、米国と日本、それぞれでどう読まれたかというのを調べると面白いんです。
自由な発想で縦横無尽に海外を飛び回る野口米次郎は、
私自身、性格的に似ているなと思って(笑)。」と堀さん。
「米次郎は、文学界においても、またイサム・ノグチとの関係においても
どちらかというと悪者扱いされがちですが、
各国の多くの芸術家と交流を持ち、好かれていた米次郎が
水面下で積極的に息子のイサムを彼らに紹介していたという一面もあります。
映画『レオニー』が世に出てくることで、米次郎の存在が知られ、
再評価されるきっかけになればと期待しています」と話してくださいました。
愛媛大学准教授で米次郎研究家のエドワード・マークスさんも
「どうして米次郎が好きなのか、という質問は、
日本人に“どうして寿司が好きなのか”と聞いているのと同じ」と
言い切るほど。
コロンビア大学や京都大学での研究中、
米次郎が生きていた頃の雑誌や文献を見つけ読み漁ったのだとか。
「野口米次郎自身の復権がない限り、今は単に
戦争協力者で悪いやつというイメージがある。それはとてももったいないこと。
彼の作品を客観的に見てほしい」と願っているそうです。
茨城出身の詩人、野口雨情と混同されてしまうこともある(!)米次郎ですが
地元水海道では、最近になって、水海道図書館で米次郎展が開かれたり、
記念碑を立てる話が具体化したことも。
日本の心を英文学に託し世界に発信した米次郎の存在が、
映画『レオニー』を通して、たくさんの日本人に知られるといいですね。
後編・・・の予定でしたが、
part3まで続きます!