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松井久子“解体新書”ロングインタビュー vol.3
〜松井監督の好きなものコレクション〜



松井監督が最初に観た映画って何だったんだろう…。
よく聴く音楽は?
その他のエンタテインメントは何がお好き?

そんなことを思ったことはありませんか?
意外と知られていない監督のお気に入りのものたち。
今回、思いきって、というか満を持してインタビューしてみました。
素顔の松井久子に限りなく迫ります。
wakki撮影の写真とともにどうぞお楽しみください。

vol.1はこちらから
(写真はクリックで拡大します)

テレビ創世記、読書展開、舞台への憧れ

vol.2では、中学生になった息子さんのロックコンサート行きに同行するようになり、ご自身の青春時代の音楽生活を追体験するという幸せを得た松井監督。息子のためというより、自らがハマッていたというのが監督らしいのですが、実は非常に子供好きだったというのも、実際に伺ってみるまで知りませんでした。
vol.3では、子供を持つことに対する監督のお気持ちから、監督の少女時代の家庭生活に話をもどしてお送りします。

●早く結婚して子供が欲しかった

―― もともと子供はお好きだったのですか?

松井 ええ、昔からね。それはもう、産めるものなら5人ぐらい欲しかった(笑)。うちなんかそれこそ下町で、家に子供たちがゴロゴロいるのがあたりまえだと思っていたから、早く結婚したかったの。
私たちの時代は、キャリア志向というのが、まだ一般的ではない時代だったから、本当に今、自分がこうしていること自体が不思議というか……、私としては魚屋のオバサンみたいなのがぴったりっていう気分だったの(笑)。

―― 息子さんの「勇気」という命名はどなたが?

松井 夫が一人で決めたんです。結婚してた時、私は何でも夫の言う通りにする主体性のない妻だったから(笑)。ていうか私、そういう意味じゃ古典的ですよ、古風。男性を立てるみたいなDNAがしみついてる。
これまで仕事してきた中で、男性社会だから損をしたのと同じぐらい、得をしてきたとも思っています。今でも思うわよ。協力者がいっぱい出てきてくださるのは、女の細腕でがんばってるからなんじゃないか、と。
うちが父権の強い家庭じゃなかったから……、お母さんがわりと町の人気者で、お父さんはおとなしかったという感じだったのね。いつも父より母のほうが目立っていたけれど、でも、最終的な決定権は全部、父にある、みたいな家で私は育ったので。ずっとおばあちゃんもいて、母が姑に仕えるのを見ていたし、やっぱりそこで身についたものって大きいかもしれないわね。


●テレビっ子時代

―― お祖母様がずっとご一緒だったのですね。

松井 祖母はテレビを見る時になると、よそゆきの着物を着直して、テレビの前にきちんと正座して、テレビの中の人が「おはようございます」って挨拶すると、丁寧にお辞儀しながら「おはようございます」って(笑)

―― お祖母様、可愛い!

松井 私たちの子供の頃は、今のようにテレビがある家庭があたりまえではなくて、私の家にテレビが来たのも、小学校の高学年になってからだったと思うの。茶の間の一番いい所に置かれて、ブラウン管に金の房のついた、大げさに言えば緞帳のようなカバーがかけられていて、見る時は、それこそおごそかな気分でカバーをはずしたものです(笑)。
バス通り裏」とか「事件記者」とか、「日真名氏飛び出す」などというテレビドラマを夢中になって見て、深夜、放送が終わって画面に砂嵐が出てからも、名残り惜しい気持ちでザーザーいってる画面をいつまでも見てたわ。
その祖母が、歌手の坂本九さんが大好きだったみたいで、ある時から「久子を坂本さんに嫁に貰っていただく」と本気になって、繰り返してたこともあったの。ほんとに笑い話のような時代だったわねぇ。

―― テレビをよくご覧になってたのですね。

松井 テレビが運んでくれたもので、私が特に覚えているのがアメリカのホームドラマ。「うちのママは世界一」とか「パパは何でも知っている」とかに描かれる、アメリカの中流家庭の暮らしは憧れでした。

●舞台女優を目指して

―― テレビを見ないで勉強しなさい、とは言われなかったのですか? 

松井 まったく記憶にないわね。中学3年の後半だけ猛勉強して、学区でも特に女の子には難関と言われた都立小松川高校に入りました。私の通っていた中学校のレベルが低かったのと、私自身があまり勉強しなかったせいで、とにかく高校では、人生初めての劣等生体験をイヤというほど味わったわ。
暗くてコンプレックスいっぱいで、親友の厚子さんとの間で交わす、交換日記だけが生きがいみたいな……。あの「SIDE BY SIDE」と名づけた交換日記は、今も、押し入れの奥にあるはず。どんなこと書いてたんだろう? とは思うけど、きっと死ぬまで読むことはないでしょうね。

―― それはわかりませんよ。高校ではどんな感じだったのですか?

松井 高校時代は、演劇部の部活に夢中でした。読書の喜びを知ったのも、引きこもりがちだった高校の頃ね。
ドストエフスキー、ヘルマン・ヘッセ、漱石、鴎外とか、一通りの世界と日本の文学全集を読んだけど、なぜかあの頃読んだ本の中で強烈に覚えてるのが、デュ・モーリアの「レベッカ」。日本では太宰治に夢中でしたね。それが、今では太宰をあまり好きじゃないから、いい加減なものよねぇ(笑)。
そういえば、あれはまだ中学生の頃だったかしら。D・H・ロレンスの「チャタレイ夫人の恋人」をドキドキしながら読んでいたら、母にひどく叱られたことがあったの。どうして? 世界文学全集に入ってるのに……って、すごく反発を感じたのを覚えてる。

―― 親としては、そういう心配はお約束でしょう。
松井 大学生になってからの読書は、何といってもボーヴォワールでしたよねぇ。そしてもちろん、サルトルも。エーリッヒ・フロム、ニーチェ、ユングとか、文学よりも哲学的な本ばかり読んでいたのが大学時代でした。それと、時期が時期だったから、マルクス主義にもかぶれて。高橋一巳とか埴谷雄高とか、わかりもしないのに一生懸命読んで、健気でしたねぇ(笑)。

――時代的に……学生運動とはかかわられていたのですか?

松井 どうだろう? かじった程度って感じですかねぇ。最近亡くなった小田実さんや鶴見俊輔さんたちがやっていた、べ平連の徹夜のティーチ・インに参加したり、デモで催涙ガスの洗礼を受けた思い出もあるし。
せっかく大学に入ったのに勉強は全然しないで、仲間とする演劇に没頭してた。チェーホフとかアルブーゾフとかのロシア演劇やら、安部公房の芝居ではいつも舞台に立ってたから、民芸、俳優座、文学座の芝居を一生懸命観て、たぶん、その頃の私は舞台女優を目指してたんだと思います。


伺えば伺うほど、奥深く展開していく松井久子ワールド。
次回、vol.4では、さらに怒涛の学生時代に突入しますので、どうぞお楽しみに!





| shiori | 松井久子監督ニュース | comments(2) | trackbacks(0) | pookmark |
Comment
2008/02/01 12:24 AM posted by: shiori
確か昭和44年は東大入試がなかったのでしたっけ。
今から思うと信じられないような騒然とした時代だったのですね。
wakkaさんのお兄様のお話も伺ってみたいです。
2008/01/31 10:09 AM posted by: wakka
私の兄は昭和22年と25年生まれ。
末っ子だったので兄たちが見ていた「事件記者」なんて、見た覚えがあるのです。

そして
2番目の兄は、東大紛争真っ只中に受験。東大受験の学生がみんなよその大学を受験したので、ずいぶん迷惑を被ったと、母が悔やんでいます。
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