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松井久子“解体新書”ロングインタビュー vol.1
〜松井監督の好きなものコレクション〜



松井監督が最初に観た映画って何だったんだろう…。
よく聴く音楽は?
その他のエンタテインメントは何がお好き?

そんなことを思ったことはありませんか?
意外と知られていない監督のお気に入りのものたち。
今回、思いきって、というか満を持してインタビューしてみました。
素顔の松井久子に限りなく迫ります。
wakki撮影の写真とともにどうぞお楽しみください。
(写真はクリックで拡大します)



子供時代に好きだったもの

●初めて観た洋画はミュージカル

―― どんな子供時代だったのですか。




松井 そんなことから聞くの? ものを創る人のわりには、何にもそれらしい子供時代じゃないのよ。
 深川の下町育ちで、お祭り大好き(笑)。深川の富岡八幡宮って、門前仲町に今でもあるんだけど、そこの周辺の町々で、60近い御神輿があるのね。それが4年に1回、勢揃いして、永代橋からずーっと練り歩くの。夏祭りだから、かついでる人にお水をかけるのね。沿道の自分の家の前で、お水を用意して待ってる人たちが。8月の14、15ですっごく暑いから。

 小さい時、わりと人懐っこくて、人にすぐに愛嬌をふりまくタイプだったんで、お祭りの時に……あの時代ってほんと地方といっしょで……、お祭りの時にステージが建って、そこに演歌歌手が来て歌ったりするのよね。そののど自慢みたいな出し物に、4歳ぐらいで出さされて、ステージに立った途端、ウワーッと観客を観た途端、固まっちゃって何もできなかったの。司会の人に話しかけられても、カチンカチンになっちゃって……。それはすっごく覚えてる。

写真:深川のお祭りの時に。「5歳か6歳くらいだったかなぁ」と監督。
左上より、お父様、隣のお姉さん、
ハチマキ姿の監督、その隣はお姉さま。
2人の間にいるのが妹さん、お母さまに抱っこされているのが弟さん。


―― そこで流暢にパフォーマンスしてたら、そちらへ進んでたかもしれません。そこが監督らしいのかも。最初に観た映画は何だったのですか?

松井 うちから、一番近い繁華街が銀座だったのね。よく家族でお出かけしたんだけど、どこかに出かけるっていうと、銀座か浅草だったのよ。
 すごく鮮烈に覚えてるのが、最初に観た映画。洋画の『ホワイト・クリスマス』っていうミュージカル映画で、ちょうどクリスマスの頃だったと思うのよ、それ。その時、雪が降ってたもの。ビング・クロスビーとダニー・ケイ。銀座の東劇で。父に連れられて、姉と3人で観に行ったの。


●美空ひばりと少女歌舞伎

 あとはね、子供の頃、大好きだったのが美空ひばり。美空ひばりの映画は、ほとんどみんな観てるんじゃないかな。『悲しき口笛』とか『リンゴ追分』とか。
 どっかに行くっていうと、映画を観に行く。それから1年に二度ぐらい、家族全員でお出かけしてデパートで買い物をする。それと、うちの父がめちゃくちゃ歌舞伎が好きだったのね。
 だけど歌舞伎をそのまま観せても、子供にはわからないだろうと思ったのか、毎年1回、浅草に市川少女歌舞伎というのを観に連れて行かれたの。全国をドサ回りしている、全員女の子たちの歌舞伎。今から考えても、ものすごくクオリティが高かったと思うんだけど、それを必ず観に行ってたのね。それで、歌舞伎の出し物っていうのは、子供の頃からほとんどずっと観てた。

―― ものを創る人にふさわしい子供時代じゃないですか。

松井 それがすごく感動的だったのは、『折り梅』の上映会で、岐阜県の下呂に行った時、そこっていうのは、昔から代々、村民による歌舞伎が、廻り舞台まである芝居小屋で、伝統的にずーっと演じられているところなんだけど、それを観に行ったら、カーテンコールの時に、市川福升さんって人が、この人たちを全部指導してます、って出てきたの。その名前を、私は強烈に覚えてたわけです。そこで歌舞伎を教えてた福升さんは、私が昔観てた市川少女歌舞伎に、いつも男役で出てた人だったの。
 思わず楽屋に会いに行って、「子供の時、観てました」って言ったら、彼女もすごく喜んでくれて。私が10歳になってない頃だったけど、彼女の名前を忘れることはなかった。そのぐらいスターだったの。幼な心に憧れてたから覚えてたんでしょうね。

彼女も「年に一度、東京の舞台で演るのが本当に晴れがましかったのよ」って言ってた。 『折り梅』でお会いした時は、60代半ばぐらいだったのかな。私が観てた時の彼女は、17、18才だったと思う。名前まで覚えてたのは、よっぽど印象的だったんでしょうね。舞台に登場されただけで、顔も、知ってる、知ってる、って感じだったの。子供の頃に観たものって強烈なんですよね。本当にびっくりしました。



写真:1歳2ヶ月の監督!出生地の岐阜・飛騨高山の写真館で。
「両親の疎開先だった岐阜の山奥で生まれたけど、
私が物心つく前に東京に戻ってきてしまったので、
飛騨の記憶はまったくないんです。」


●妹は日舞、姉は宝塚、私は……
 
うちは、とにかく父が歌舞伎が好きだったから、いっつも歌舞伎の声色で、たとえば、『勧進帳』の弁慶と富樫とか、『白波五人男』の弁天小僧菊乃助とか、ずーっと歌舞伎の科白を言ってるの。

―― すごい文化環境ですね。

松井 だから父は、妹には日本舞踊を習わせたりしてたのね。姉は宝塚が好きで、黛ひかるのファンだったの。黛ひかるって知ってます? 結婚して山崎努の奥さんになった人です。それで姉は、中学から私立のお嬢様学校へ。私は、小学校の頃から、「あなたは勉強する人」って思われて。私一人、もう中学からは勉強、勉強……勉強一本。

―― お父様はちゃんと子供の資質を見極めてらしたんですね。

松井 私はそれをめちゃくちゃひがんでいて、私だけお金かけられてない、みたいな(笑)。それで、公立中学から都立高校へ行って……。

―― 小松川高校から早稲田大学、というのはエリートコースじゃないですか。

松井 それが、女の子としてのコンプレックスだったの。
 だけど、いわゆる大衆演劇とか大衆的な映画には、子供の頃からピターッと浸っていたと思う。小学生の頃は、親といっしょに映画を観続けていたし。あの頃は映画館がいつも満員で、立ち見なんてザラだったから、父に肩車されて観てましたよ。学校の校庭とか、町の広場で見る野外映画も楽しみだったなぁ。高峰秀子の『喜びも悲しみも幾年月』とか、強烈に覚えてますね。
 三益愛子って知ってる? 女優で、川口松太郎の奥さんだった人が出てた大映の母ものとか、もちろん原節子の小津映画も。

―― 黒澤は?

松井 黒澤は、あんまり。やっぱり、女性が主人公の映画を観てましたよね。あの頃は、若尾文子とか、叶順子とか、特に大映に、美しくてしかも個性的な女優さんがいっぱいいました。それが、中学、高校になったら、あまり映画は観なくなったんだけど……。


 やはり“三つ子の魂”ではないけれど、映画や演劇の洗礼を幼児期にシャワーのように受け、その後も浴び続けてきた監督の少女時代。“映画監督一直線”という感じもするのですが、そうは問屋が卸さないところが、松井監督らしいところ。
 意外な展開を見せる、中学時代以降の「vol.2」へと続きます。


| shiori | 松井久子監督ニュース | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
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